時代の変わりを楽しみつつ惜しむ

まだ鉄拳のプロがなかった頃に引退し、10年ぶりに戻ってみたらプロライセンス・システムが存在していた浦島太郎。

8待ちの暇な時に、その辺の感想でも書いておく。



プロ

事情をよく知らないアマチュアからすると、ライセンス持ちだけでなくスポンサー受けてたらプロって思ってるし、色々事件や課題を抱えてそうな中、リスクとリターンを考えたら、よく頑張ってるなーって思います。

俺自身、ITエンジニアという新しい職業に飛び込んだ経験があるけど、どれだけ新しくブルーオーシャンでも、プロゲーマーという海原に飛び込む決断はそれより遥かに厳しいものではなかろうか。

一部に兼業プロもいるっぽいし、それが最も賢明に見えてはいるのだが、仮に俺が兼業したら、配信でやらかして本業に影響して人生転覆しそうなことを想像すると、シンプルに難しい、そんな印象を受けます。


プロの最も良いところは、世界的に活躍する機会を得られるところで、言語を含めた多様な環境に食いついていく努力ありきなので、たかがゲーマーとは言えないくらいのモノは容易に感じられます。

大会もトーナメントやリーグ戦といろいろあって、アレを安定して勝ち抜くなんてまず無理なんだけど、少しでも安定して勝ち続けられるよう仕上げるわけで、とりあえず吉光一本では絶対無理だなって思った。ほぼ全プロが、最低でも2キャラ持ってるしね。

ゲストだの実況解説だの配信だの、案外多岐にわたるわりには、キッチリ食えてるのは上位数人な感じっぽいけど、老後までを含めて上手くいくようになるといいなぁと思って見ています。


勝利至上主義

プロと言えば勝ってナンボ、上位に食い込み続けてナンボってところがあって、それが極まったのがリロイ・ジャパンだったわけだけど、キャラ調整が変わるっていうよりは最早ゲームが変わったような状態なら、それに対応しないのはただの怠慢だし、この辺がプロに憧れられない理由の1つだよねっていう。

将棋みたいなボードゲームは、大会ルールは色々あっても基本ルールは不変だし、スポーツは微妙に調整されるけど、頻繁ではないし基本はほぼ不変であるも、やや道具が時代を変えることはある感じ。

それに対して格ゲーは、微調整も大きな変更も頻繁と言える頻度で入るし、その変化が結果に与える影響度合いが大きすぎて、魂のキャラで個性を引き出し切るとか余裕で吹っ飛ばすので、どのプレイヤーが何のキャラを選んで勝ったのか負けたのか、みたいな方に傾きすぎている。

勝ちに行ったはずのキャラで一本目を取られて、二本目に出す元・魂のキャラとか、記念代打みたいで痛くてみてられない。今のところ、魂のキャラと言えるキャラを上手いこと2つ所有して臨んでいるプレイヤーが、見ていて気持ちよく感じるので、ブランディング大事だなっていう。


ライセンス

ライセンス持ち同士の対戦は、あれはあれで面白いし、参考になるのは間違いない。

特に、自分が苦手とするキャラの対戦は、対処方法とか、無理に動かないとか、プロがそーしてんなら、間違いないやろ~的に、調べるのを省略して取り入れることも多い。

ただ見慣れてしまうと、対戦カードがある程度同じメンツになっているように強く感じてしまうので、そのあたりが、自分にとっては興味が薄れる要因となっている気がしている。

なので、その1つ下と言える、プロライセンス発行大会が好きで、あの悲喜交交が溢れる一発勝負がやはり熱い。

しかしながら、そのシーンでもやはり、変則キャラや三島が軒並み落ちていくので、どういうキャラが安定しやすいかって考えると、まぁそうだよなってなってしまう。


アマチュア

ゲーセンのアマチュアOnlyだった時代の、大会や遠征野試合などは、それこそ人生の楽しみ方が変わるほどの環境だった。若い頃にそれを体験して、今はオッサンなので、アレを超えると感じる環境は二度と現れないだろう。多分ピークは、軍曹杯のゲーセンに泊まり込んだあたり。ゲーセンだろうが会社だろうが椅子が2つあれば寝れるし、4つあれば神ベッド。

アマチュアの何が良かったかっていうと、ホームゲーセンだろうと、遠征先のゲーセンだろうと、得体の知れないプレイヤーが多すぎたってこと。

真面目なサラリーマンや学生から、無職や何で生活の糧を得ているかすら不明な人間まで、本当に幅広いプレイヤーが存在していて、そういった多様な背景と磨き抜かれた魂のキャラから繰り出される尋常ではない強さやテクニックは、不思議に輝いて見えるものがあった。

今のプロと比べて、当時のプレイヤーの勝ちへにこだわりが小さいかというと、全くそうではないはずなのだが、数百人が集まるアマチュア大会では、様々なキャラが観られ、キャラとプレイヤーの独創性が乱れ飛ぶ異様な空気となっていた。

鉄拳を軸に、地元・遠征・大会・オフ会・SNS、と全てが奇跡的に噛み合っていた、そんな時代だったのだろう。


過渡期

どのようなコンテンツも、過渡期が最も楽しい、というのがある。

ゲームも動画もSNSも、ユーザーが無償でひねり出したアウトプットには不思議と力強い魅力があり、マネタイズが絡みだしたアウトプットは自然と方向性が揃いだしてしまうからと考える。

マネタイズを否定することは当然ないが、それ以前の過渡期に比べると、そこにコンテンツ熱の継続の難しさがあるのだろうなと思いつつ、鉄拳8はもう少しちゃんとプラクティスから取り組もうと思う次第である。

コメントは受け付けていません。